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くじらのカルム

ある朝、浜に一頭の雌くじらが打ち上げられていた。

彼女は毎日ゆっくりと海を旋回しては、決まって日暮れ時に潮を吹くことから、
漁の終わりを告げる海の主として漁師たちに親しまれていた。

船を襲うことなくとても穏やかな性格から、くじらはカルムと呼ばれていた。

「お母さん、海でカルムが死んでる!」

 

突然の死は瞬く間に広まり、昼過ぎになると浜は駆けつけた人々でいっぱいになった。

大勢の人に囲まれながら大きな身体を横たえて、カルムは静かに目を閉じていた。
どうして彼女が死んでしまったのか?
専門家、獣医、占い師までもがありとあらゆる方法で検視にあたったが、
青色のつるりとした身体にはひとつも傷が見当たらなかった。


「これほど不思議な死に方は見たことがない」

と獣医がいい、

「このくじらはまだ若いし、岩に誤って衝突した痕もない」
と専門家がいい、

「仕方がないので、解剖してみましょう」

と医者がいい、

「もしかしたら新鮮な内臓が高価で売れるかも」
と大富豪が呟いた。

解剖なんて可哀想だ。やめようという声も上がったが、
ああでもないこうでもないと人々が相談した結果、結局くじらの腹を切ってみることになった。


「坊や、目を隠していなさい」

 

人々が息を飲んで見つめる中、大男が二人掛かりで斧を振りかざし、えい、と切れ目を入れると
中からおぞましい量の新鮮な沈丁花が溢れ出た。

とたん、浜辺は強烈な花の香りに包まれた。

大男たちはひい!と声をあげ斧を投げ捨てると、砂に足を取られながら後ずさり。

「どうしてくじらの腹から花が出てくるんだ」

「海にでも咲いていたのか?」

「ばか言うな」

「花で窒息なんて、人間だって聞いたこともない」


内臓が高値で売れるといった大富豪も、じっとり汗をハンカチで拭った。

するとざわつく大人たちの間をすり抜けて、ある三姉妹の少女たちがくじらに駆け寄った。

「なんていい匂い!」

「甘くて、うっとりする香りだわ」

「きっとあまりにいい匂いだから、食べ過ぎてしまったのね」

少女たちはそう言うと、花を手に取って自分たちの髪に挿しはじめた。
それを見ていた町じゅうの女たちも追いかけるようにくじらに近づいて、手に手に花を取り始めた。

「カルムを見なさい。いい香りに包まれて、幸せそうな顔で死んでるわ」

花は女たちが持ち帰れぬほどまだ有り余っていたが、くじらの遺体は海へ還すことになった。

「ぼーっとしてないで、縄をちょうだい!」

恰幅のいいパン屋のおかみさんの掛け声で、くじらは大勢の人々によりえんや〜こ〜らと海へ戻された。

やがて大きな身体は沖の方でゆっくりと沈んでいき、人々はその様子を見えなくなるまで見守った。
海面に浮かんだ花々が、波にゆらゆらとや漂っていた。

​以来この町では、くじらを悼んで海に沈丁花を流す習慣が根付くようになった。

 


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